映画アルプスの少女ハイジ「魅力的な女性」とは
日本でも、テレビの名作劇場で放映され、長い年月に渡り絶大な人気を誇った「アルプスの少女ハイジ」。
原作は、1880年と1881年にヨハンナ・シュピリによって執筆されました。この小説は、世界中で翻訳され、子供から大人まで幅広く読まれています。
この作品は、世界中で映画化されていたにもかかわらず、イギリスでは、正式に映画化されたことがなかったのです。
そのことに驚いたプロデューサーのマーティン・オーティは、自らの手で映画化しようと決断しました。
そして生まれたのが、今回、ご紹介する映画「ハイジ」です。
この映画「ハイジ」では、アルプスの大自然が美しく描かれています。雄大で温かみのある景観を求め、世界中を探し歩いてスタッフが見つけたスロベリアのジュリア・アルプスで、6週間のロケが行われました。
スクリーンに焼き付けられた大自然の美しさは、刺激的映像が多い近代映画の中、まるでモネやルノワールの絵画を見ているような何か懐かしい、清らかな美しさでした。
その中で繰り広げられるハイジの生活。その映画を観て、考えさせられたのは、「魅力的な女性とは何か」ということでした。
- 「魅力的な女性」とは
皆様は、「魅力的な女性」というと、どのようなことをイメージされるでしょうか?
「美人」「お金持ち」「ブランド品で身を飾っている」「家柄が良い」「学歴がある」などでしょうか?
ハイジは、これらの要素をひとつも持っていません。
取り立てた美人ではないし、両親はいません。
貧しく、学歴がなく、文字も読めません。
しかし、ハイジは、魅力的な女性なのです。
何が、ハイジに魅力を感じさせるのでしょうか?
ハイジは、村の人々に心を閉ざし、ひとり山奥に住んでいるおじいさんに預けられます。
ハイジと接するうちにおじいさんは、ハイジに心を開くようになり、毎日が明るく楽しくなってきました。
そして、ハイジのために冬の間は村に住もうと決心するようになり、村の人々とも仲直りするようになります。
おじいさんは、チーズを作り、それを売って生活をしていましたが、ひとりではなかなか売れないチーズもハイジがいると、飛ぶように売れました。
このようにして、おじいさんの生活は、ハイジが現れるようになって大きく変わっていったのです。山の生活に慣れたハイジですが、デーテおばさんによって引き戻されてしまいます。フランクフルトに住む金持ちの娘クララの遊び相手をするためでした。
この屋敷には、ロッテンマイヤーという厳しい女執事がいて、何かとハイジに辛くあたります。
しかし、ハイジは、それにめげることなく、ポジティブに生きていきます。ハイジによって、車椅子生活の少女クララは、心に明るさを取り戻していきます。ハイジ自身も、クララのおばあさんの好意により、文字が読めるようになります。
みんなの心を自然と明るく前向きにもっていく、ハイジはそんな特技は持っているようです。
当時の貧しい人々は、固い黒いパンしか、食べることが出来ませんでした。
心優しいハイジは、アルプスに住む歯の悪いおばあさんに食べさせてあげたいと、食事ごとに出る柔らかい白いパンをポケットに入れ、アルプスに帰った時におばあさんにあげようと自分の洋服ダンスにしまっておきました。
しかし、パンは時間が経つとカビだらけになってしまいました。
カビだらけになったパンをロッテンマイヤー夫人に見つけられ、ハイジはこっぴどく叱られます。
ハイジは、ベッドの上で、大泣きしてしまいました。
ハイジはどうしても、フランクフルトの都会生活になじむことが出来ませんでした。
ホームシックから軽い精神病にかかってしまったハイジは、医師のアドバイスによって、念願のアルプスの山へ帰ることになります。
袋いっぱいに柔らかな白いパンを詰めて、真っ先におばあさんの小屋を訪れました。
おばあさんは、パンよりも、ハイジが戻ってきてくれたことが何よりの宝だと言いました。
夏休みになると、クララがハイジのもとに遊びに来ました。
車椅子を使って山へ出かけたハイジとおじいさんとクララでしたが、ハイジと仲良くするクララに嫉妬して、羊飼いのぺーターが車椅子を谷底に落としてしまいます。
車椅子を追いかけて、谷に落ちそうになるハイジ、ハイジを助けようとするおじいさん。
その光景にクララは思わず、立ち、歩いてしまいました。
この事件をきっかけにクララは歩く訓練を始め、歩けるようになります。
このように、多くの人々の心にともし火をともして明るくし、また、現実的にも多くの人々の人生を良い方向に導いていくハイジ。
その姿は作為的なものではなく、高慢さや邪心など一切なく、純粋無垢な自然体です。
このような少女の姿に人々は、何か貴重な魅力を感じるのではないでしょうか?
現代の日本において、多くの人が持っている願いとは、どのようなものでしょうか?
「ブランド品を持ちたい」
「おいしいものを食べたい」
「お金持ちになりたい」
「有名になりたい」
「いい男を見つけたい」
これらの願いは、それを羨(うらや)ましがる人がいて成り立つ陳腐な願望なのです。映画館にて
鑑賞前にパンフレットに
目を通す院長ハイジの願いは、決してそんなものではありませんでした。
「おじいちゃんが大好きで、ずっと一緒に暮らしたい」
「歯が悪いおばあちゃんに柔らかい白いパンを食べさせてあげたい」
(クララが金持ちの娘だからという理由でなく友人として)
「クララと仲良くしたい」
とても、シンプルなのです。他人から好かれて得をしたい、少しでも人から羨ましがられたい、という気持ちでなく、純粋にこのような願いを持って天真爛漫に生きていく一人の少女の姿を人々は、人間の本質の深いところから湧いてくる、時代や他人に左右されない何かとてつもなく深い「美しさ」「魅力」と思い、また、多くの人が本物を感じ、長年読み継がれ、語り継がれる不朽の名作となったのではないでしょうか?
僕は、女性が美しくありたいという欲望や本能を否定するつもりはありません。
しかし、美しくあろうとする事で自分を見失ったり、過当な競争や不自然な欲望で疲れた時、ぜひ、「ハイジ」を思い出して、幼い頃の夢のような純真さを感じてみるのも良いのではないでしょうか・・・。 参考文献: 「ハイジ」劇場用パンフレット
このページの写真は、パンレットより転載させていただきました。